『誰かの負債は誰かの富』マイナスには足そうが掛けようがマイナスはマイナス

数学的にはマイナス掛けるマイナスはプラス、マイナス足すマイナスはマイナスでございます。


だけど、人間の感情や、人間関係においては、マイナスの感情、マイナスの人間関係は、自分にとってはマイナスにしかならない…。



加えて我が職場は負の感情を持つ人間ばかりが集まっている。収入の水準にモラルや社会偏差値が追い付いてない、というか低すぎるのだ…。


やれ上司が、やれあいつがこいつがどうだ、待遇が… と毎日毎日、飽きもせず負の感情を撒き散らし、まともな人間は休憩室には入ってこなくなってきた。


ヤンキーの友達はヤンキー、馬鹿の友達は馬鹿になり、ヤンキーのガキはやはり襟足が長くなりスカジャンを着せられる。

他方で、金持ちの友達はみんな金持ち、金持ちの御子息はやはり金持ちになる。

故に、中学、高校受験などでふるいにかけ、選別するのだ。頭のいいやつ、金持ちは私立や公立の良いところへ、バカや貧乏人はバカの行く高校へ。資本主義では必須な選別である。


それは何故か。


答えは簡単、階層が異なるため一緒には住めないからだ。

マイナス掛けるマイナスはプラスになるのは数学上のことだけであり、通常は『朱に染まれば赤くなる』だけなのが人間だと言っているのだ。権力者が注意しなければならないのが、マイナス掛けるマイナスが集まり過ぎた時暴動や革命運動になったときのみ、唯一プラスになりうることもあることだ。


『誰かの負債は誰かの富』


マイナスの人間にはマイナスの人間関係しかないような汚い生け簀のような世界に住まわせ、富を搾取し続けていくのが知識層の造り出した世界だ。

人と接する時は普段の言動、目、顔相、身に纏ったオーラが自分に取ってプラスかマイナスか考えるようにしている。『外見は人間の中身の一番外側の部分』




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