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こんな時代だからこそ藤堂高虎公を偲ぶ~伊賀上野城~

先週、遅めのGWを取り、伊勢神宮~伊賀上野を車で廻ってきました。


伊賀上野城は築城名人・藤堂高虎公が築城した、高石垣で有名な名城です。



藤堂高虎公はどうも、不人気なのですが、私は好きな武将です。

西軍で好きな武将は立花宗茂公、東軍では藤堂高虎公です。

この二人、実に対照的な戦国の生き様ながら、最終的には徳川家康の信頼を勝ち取り両家は明治まで残りました。

立花宗茂公が豊臣の恩を忘れず最後まで豊臣家に仕え忠義の武将とされるのとは逆に、藤堂高虎公は8度も主君を変えた変節漢とされ、歴史小説、大河などでは良いように描かれず、現代では不人気です。

ですが、実は戦国期には、まだ『二君に仕えず』という風習はありませんでした。二君に仕えずという教えは江戸時代中盤以降から現代まで広まりだしたもので、この後世の慣習で藤堂高虎公を見ることは誤った物の見方になります。
戦国期は自分の力に見合った報酬を出してくれる主君を見つけ仕える自由があったのです。

立花宗茂公は父親、養父に恵まれ、才能にも恵まれ、主君にも恵まれた人。藤堂高虎公は仕える主君がほぼ皆、敗北し、自分の才能で主君を探し続けなければならなかったに過ぎない。


藤堂高虎公は小早川秀秋や明智光秀、斎藤道三、三好三人衆のような汚い裏切り、敵前寝返り、主君殺しなどは行っていません。仕えた主君には全力でもって仕えました。


以上のことから、藤堂高虎公を変節漢などという輩は無知な人か、『二君に仕えず』『滅私奉公』を未だに美徳だと考えている、古い人間か、その両方かです。


副業解禁、ブラック企業の跋扈、終身雇用制度の崩壊の現代こそ、学ぶべきは藤堂高虎公でありましょう。

就職の面接や、上司との世間話の中で、好きな武将の話になったら試しに藤堂高虎と言ってみましょう。もしその時、藤堂高虎は裏切りの転職を繰り返した尻軽な変節漢だなんていう上司は底が浅いと判断し、その上司や面接官には見切りをつけたほうが良いでしょう




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